吉良 義郷(きら よしさと、? - 天文9年(1540年))は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の娘。義安、義昭は弟にあたる。
生涯
西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。
父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、天文9年(1540年)戦死した。尾張の織田信秀と戦い、戦死した可能性が高いと言われる。義郷の死後、弟の義安が家督を継いだ。
法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。
脚注
注釈
出典





吉良 義郷(きら よしさと、? - 天文9年(1540年))は、戦国時代の武将。三河西条吉良氏。仮名は三郎。左兵衛佐の官職を僭称した。母は後藤平大夫の娘。義安、義昭は弟にあたる。
西条城主吉良氏の吉良義堯の長男として生まれる。
父義堯の跡を継いで西条吉良氏の当主となったが、天文9年(1540年)戦死した。尾張の織田信秀と戦い、戦死した可能性が高いと言われる。義郷の死後、弟の義安が家督を継いだ。
法名は寶樹寺殿奇山敏勝大禅定門。




