(わらび)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、樅型駆逐艦の20番艦である。1927年、訓練中の事故により、日本海で沈没した(美保関事件)。船体の一部は海底で現存している。

艦歴

1920年(大正9年)10月12日、藤永田造船所で起工。1921年(大正10年)9月28日午後5時30分に進水、同年12月19日に竣工した。

1927年(昭和2年)8月24日午後11時20分、島根県美保ヶ関沖で戦技訓練中、軽巡洋艦「神通」と衝突。15分後に沈没した(美保関事件)。

残骸発見

2020年(令和2年)9月、九州大学を中心としたチームが、美保関沖33㎞の海底で蕨の残骸を発見した。この時に発見されたのは蕨の艦首部分であり、翌2021年(令和3年)7月には艦首の発見地点から北西10km沖の部分で、蕨および僚艦「葦」の脱落した艦尾部分が発見された。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 渡辺彝治 少佐:1921年10月1日 -
駆逐艦長
  • 渡辺彝治 少佐:1921年12月19日 - 1922年12月1日
  • 藍原有孝 少佐:1922年12月1日 - 1923年12月1日
  • 友成佐市郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年6月1日
  • 日台虎治 少佐:1924年6月1日 - 1924年8月1日
  • 久我徳一 少佐:1924年8月1日 - 1925年12月1日
  • 池田久雄 少佐:1925年12月1日 - 1926年2月5日
  • 直塚八郎 少佐:1926年2月5日 - 1926年11月1日
  • 五十嵐恵 少佐:1926年12月1日 - 1927年8月24日殉職

脚注

参考文献

  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻(第一法規出版、1995年)
  • 片桐大自『聯合艦隊銘銘伝』(光人社、1993年)
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版(光人社、2003年)
  • 『日本駆逐艦史』 世界の艦船 1992年7月号増刊 第453集(増刊第34集)、海人社、1992年。ISBN 4-905551-41-2。 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。 
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正10年 公文備考 巻24 艦船1/駆逐艦蕨製造一件』。Ref.C08050173000。 

関連項目

  • 大日本帝国海軍艦艇一覧

119人が犠牲になった「美保関事件」 駆逐艦・蕨の撮影に初成功…約90年を経て大学生が沈没地点を特定【島根発】|FNNプライムオンライン

「駆逐艦蕨」捜索プロジェクト②〜93年ぶりの発見|WORLD SCAN PROJECT 公式note

米海軍の誘導ミサイル駆逐艦「シュープ」 YouTube

美保関事件で沈んだ駆逐艦「蕨(わらび)」が93年の時を経て海底で発見 あいち航空ミュージアム ボランティアスタッフの独り言

美保関事件で沈んだ駆逐艦「蕨(わらび)」が93年の時を経て海底で発見 あいち航空ミュージアム ボランティアスタッフの独り言