本多 正復(ほんだ まさもと、明治6年(1873年)12月23日 - 昭和9年(1934年)4月9日)は、日本の華族(子爵)。平戸藩主松浦詮の六男。初名は松浦復。長尾藩主本多正憲の娘・純子の婿養子となり名を改める。子に房子、本多正震、稲葉正弘(稲葉正顕養子)、恒子(田中真茂妻)。

学習院高等科を卒業。宮内省に入り、東宮侍従、掌典次長を歴任、その後宮中顧問官を務めた。大正15年(1926年)7月に養父が隠居し家督を継ぐ。昭和9年、62歳で没した。墓所は青山霊園(1イ20-23)

栄典

位階
  • 1902年(明治35年)12月20日 - 正五位
  • 1914年(大正03年)12月28日 - 従四位
勲章等
  • 1931年(昭和06年)03月20日 - 帝都復興記念章

脚注

参考文献

  • 『日本人名大辞典』(講談社)

本多正信があえて「権勢」を振るった理由 | 歴史人

本多正信

本多正純 YouTube

本多重次 1596年8月9日没 薬剤師Stephenのよろずブログ 楽天ブログ

分相応が一番!本多正信が徳川家康にお願いした“ある事”とは?【どうする家康】 歴史・文化 Japaaan ページ 2