浅野 忠晨(あさの ただあき)は、江戸時代中期の安芸国広島藩の家老。三原浅野家第6代。

略歴

享保17年(1732年)7月5日、三原浅野家第5代忠綏の長男として安芸広島に生まれる。宝暦元年(1751年)、病気療養のため有馬温泉に湯治に出かけた。宝暦8年(1758年)2月22日、忠綏が死去したため、3月に家督と知行3万石を相続した。

翌宝暦9年(1759年)夏より病に臥せり、三原に移住して療養したが、回復しないため11月に隠居を願い許されて、家督を叔父の忠正に譲る。忠正に明和3年12月16日(1767年1月16日)に先立たれ、弟忠愛が家督を相続する。忠愛にも寛政5年12月12日(1794年1月13日)に先立たれ、藩主浅野重晟の四男の忠順に三原家を相続させた。

寛政6年閏11月16日(1795年1月6日)、三原で死去、享年63。菩提寺の妙正寺に葬られた。

参考文献

  • 御調郡誌教育会編『御調郡誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  • 三原市史

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