兵部大輔大村益次郎卿殉難報国の碑(ひょうぶだいふおおむらますじろうきょうじゅんなんほうこくのひ、旧字体:兵部大輔大村益󠄁次󠄁郞卿殉難󠄀報國之碑)は、大阪府大阪市中央区法円坂2丁目1-23にある石碑。

概要

上町筋における上町交差点の北西角地に位置し、国立病院機構大阪医療センターに隣接する。昭和15年(1940年)11月に建立。

大村益次郎(おおむら ますじろう、 文政8年5月3日(1825年6月18日)- 明治2年11月5日(1869年12月7日)が明治2年9月4日、軍事視察で京阪地域を訪問中、京都三条木屋町の旅宿で会食中に、刺客に襲われ、重傷を負い、当時の浪華仮病院(現在の大阪医療センター)に入院、右大腿部を切断する手術がなされた。

その後、切断部より敗血症となり、容態が急変し、死去した。

紀元2600年の節目にあたる昭和15年に、大村益次郎の殉難と、生前なしてきた国民皆兵など、近代日本兵制の整備の功績、その後、病床で疼痛に苦しみながら国家を案じ、説いていた姿を顕彰する、として、政財界や陸海軍幹部、関西を中心にした名士が、数多く賛同し、大村卿遺徳顕彰會が結成され、終焉の地として建立された。

中央に約12メートルの石碑がそびえ、左側には銘文が埋め込まれ、右側には、大村益次郎が刀をさし、和装でありながら西洋風の襦袢を穿いて書を読む姿が埋め込まれている。

碑を左右から囲むように発起人並発起人黨賛助者氏名がいろは順で左から右へ明記されている。その数は88名を数え、政財界や陸海軍の要人、大阪や関西を中心にした錚々たる名士が参加している。

碑文

全文

発起人並びに発起人兼賛助者氏名

周辺の施設

国立病院機構大阪医療センター、難波宮跡、大阪歴史博物館、NHK大阪放送局、大阪家庭裁判所


アクセス

大阪メトロ谷町線谷町六丁目駅より徒歩6分、谷町四丁目駅より徒歩10分


参考文献

  • 高梨光司『兵部大輔大村益次郎先生』(大村卿遺徳顕彰会、1941)国立国会図書館デジタルコレクション

兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑と埋腿骨之地(大阪)

“The Battle of the Nile” by William Frederick Woodington

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個別「兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑」の写真、画像 元・【東京】江戸御府内八十八ヶ所順打ち巡礼記【遍路】の写真庫

Gravures Anciennes Peinture Exposition 1888 Moreau de